@article{oai:ir.ide.go.jp:00049480, author = {松本, はる香}, issue = {3}, journal = {アジア経済}, month = {Sep}, note = {PJa/33/Aj11, application/pdf, ZAJ201709_003, 本稿の目的は,おもに「蔣介石日記」をはじめとする台湾側一次史料等にもとづいて,第一次台湾海峡危機時期における大陸沿岸諸島の防衛問題をめぐる蔣介石側の立場や認識を外交史的に跡付けることにある。まず,第一次台湾海峡危機直前の米国の「台湾中立化」の解除の時期に焦点を当て,金門・馬祖島をはじめとする大陸沿岸諸島の防衛をめぐって米国側と協議を重ねていた蔣介石側の立場や認識を明らかにする。とりわけ,大陳島をめぐる防衛問題に焦点を当てることによって,なぜ蔣介石が大陳島からの撤退を拒むことになったのか,さらには,そのことがその後の状況にどのような影響を及ぼしたのかという点等を中心にして分析を行う。その上で,同危機の発生後に浮上した大陸沿岸諸島の撤退問題をめぐる蔣介石側の立場や対米認識の変化等についても論じる。以上を通じて,「台湾中立化」の解除によって,米国政府が蔣介石の「大陸反攻」を公式的に容認することはなかったものの,「大陸反攻」を積極的に後押しするような言動が米国政府関係者の一部にみられたことが明らかになった。また,国府に対して大陳島の防衛努力を強く促してきたにも関わらず,米国政府が方針を一変させたことが,蔣介石の同島からの撤退の決断を結果的に遅らせる原因となった。さらに,米国政府が大陳島に次いで,金門・馬祖島からの撤退の提案を行ったことによって,蔣介石の対米不信感はさらに高まっていくことになった。そのことが,結果的には危機終息後の国府軍による金門・馬祖島の軍事要塞化へと事実上繋がっていったのである。}, pages = {22--49}, title = {第一次台湾海峡危機をめぐる大陸沿岸諸島の防衛問題の変遷 -- 「蔣介石日記」および台湾側一次史料による分析}, volume = {58}, year = {2017} }