@article{oai:ir.ide.go.jp:00048658, author = {山形, 辰史}, journal = {経済セミナー}, month = {Apr}, note = {1993年にアメリカのロチェスター大学でSergio Rebelo準教授(当時)の経済成長論を履修した。ある授業でRebelo教授に「しばしば人的資本と技術は混同されがちだけれども、両者は財の性質上、大きく異なっている。技術、中でも他人に簡単に伝達できるように文書や設計図に記されている知識は公共財的性質を持っているが、人的資本はむしろ通常の財に似ている。知識は他人に簡単に漏洩し盗用されやすいが、人的資本はその所有者が専有可能である。その上、人的資本はその所有者が死んでしまえば消失するが、知識は記録として残る。この意味で、人的資本蓄積は有限だが、知識の蓄積は無限に可能である」と教わった。自分はそれまで、新古典派成長理論で仮定される「労働に体化された技術進歩」ばかり勉強していたので、技術と人的資本を同一視していた。それだけにこの説明は非常に新鮮であった。(以下略)}, pages = {54--55}, title = {能力は有限、知識は無限}, volume = {591}, year = {2004} }